一生に一度は訪れたい世界遺産アンコールワット!
緑深い森に突如現れるアンコールワット。
アンコールワット(Angkor Wat)はカンボジアの歴史や文化の象徴として国旗にも描かれており巨大建築を可能にした建築技術や芸術性などクメール文化の繁栄を物語っています。見ごたえのある世界遺産として世界中の人々が訪れるアンコールワットについてご紹介していきます。
お客さまのシチュエーションにマッチした旅行プランのご提案をいたします。
緑深い森に突如現れるアンコールワット。
アンコールワット(Angkor Wat)はカンボジアの歴史や文化の象徴として国旗にも描かれており巨大建築を可能にした建築技術や芸術性などクメール文化の繁栄を物語っています。見ごたえのある世界遺産として世界中の人々が訪れるアンコールワットについてご紹介していきます。
9世紀初頭に成立したクメール帝国(アンコール朝)はアンコール周辺に都城を建設し王都としていましたが、12世紀前半にスーリヤヴァルマン2世が内乱に打ち勝ち国勢を高め、その名誉と威光を完全なるものにする為、ヴィシュヌ派のヒンドゥー教寺院を造営したのがアンコールワットのはじまりとされ30年以上の歳月をかけて建設されたと言われています。
790年頃アンコール王朝の初代国王はカンボジア南部の豪族を抑えアンコールを平定し王位につきました。その後、アンコール王朝は内乱や戦いを繰り返し代替わりする度に先祖を祀り、王の権威を示すため新しい寺院が作られました。これらがアンコール遺跡群と言われています。
現在のシュムリアップに王都が築かれたのは、10世紀の第4代ヤショヴァルマン一世国王がヒンドゥー教の神々が住む世界を見立てた都城を建設したのが始まりとされます。
アンコールの王はシヴァ神などヒンドゥー教の神の化身とされ、神の世界を実現する必要があり、荘厳な寺院や都城の建設が必要でした。
12世紀になりスーリヤヴァルマン2世は内乱に打ち勝ち、さらに東はチャンパ王国、西はチャオプラヤ川上流まで攻め込み、ベトナムにも侵攻し、その名誉と威光を示すため偉大なアンコールワットの建設を始めたのです。
この頃はヒンドゥー教の寺院ですね。
しかし王の死後、混乱が続きチャンパ王国の侵略により属国として支配されてしまいます。
その後、アンコール王朝で初の仏教徒の王ジャヤヴァルマン7世が反撃し、首都アンコールを復興し新たな都城としてアンコールトムをはじめバイヨン寺院、四面像なども建設し安泰と発展を願いました。
この王によりアンコールワットも仏教寺院に改められヒンドゥー教と混在する寺院となりました。
世界史から見ても宗教間の争いが多く破壊された遺跡もある中、ヒンドゥー教の彫刻や像を破壊せず混在させた仏教は寛大ですね。
13世紀になり王の死後アンコール王朝は混乱に陥り、14世紀にタイ民族の攻撃により陥落。クメール文明は衰退し15世紀には完全に放棄され、ジャングルに飲み込まれる事となりました。
それでもアンコールワットだけは見捨てられず寺院群が再建され仏教徒たちの巡礼地となり続けていました。
他の遺跡群がジャングルに埋もれる中、アンコールワットだけは信仰する人々から見捨てられなかったのですね。
16世紀半ばからアンコールに海外から旅行者がやってくるようになり、ポルトガルの歴史家はカンボジアのジャングルに都市の遺跡が眠っていると伝えています。
17世紀前半には日本にも御朱印船貿易を通じアンコールワットの存在が知られ祇園精舎と誤って認識され巡礼者が訪ねるようになりました。
水戸徳川家所蔵の「祇園精舎図」はアンコールワットの実測図との事です。
Wikipediaより
19世紀になりフランス人探検家のアンリ・ムーオはアンコールを調査し彼の紀行文により西欧と世界に広く知られる様になり、1878年パリ万国博物館でアンコールワットが紹介され、カンボジアがフランスの統治になるとフランス極東学院により保存修復作業が進められました。
1972年カンボジアで内戦が勃発しポルポト率いるクメール・ルージュによりアンコールワットは破壊され大きなダメージを受けましたが、内戦終結後、各国の協力により地雷撤去や修復が行われ1992年アンコール遺跡として世界遺産に登録されました。
アンコールワットは周囲を幅190mの環濠に囲まれ、寺院の正面は他のアンコール寺院のほとんどが東向きに対し西側を向いているのが特徴です。
アンコールワットの規模は広く、南北に約1300m、東西に約1500m、幅190mの環濠で囲まれ、面積は 200ha(東京ドーム約40個分)とされています。
ゆっくり見学するなら3時間はかけて歩きやすい靴と暑さ対策など万全に!
シンメトリーな祀堂はクメール建築の最高傑作と言われ、古代インドの世界観で5つの円すい形の塔の4つは四隅に、1つは中央にそびえる聖なる山(須弥山しゅみせん)と考えられ、神々が住む場所とされたのです。
中央祀堂を軸に3重の回廊がめぐらされ周壁となる回廊はヒマラヤの霊峰に、環濠は無限の大海にたとえ寺院全体で宇宙観、宗教観を表し、王はその中心で神と交信し民衆を導いたとされています。
環濠を一直線に西参道が貫き、参拝者はこの参道から入場します。
参道の入口には7つの首を持つ蛇神ナーガと魔除けの獅子像が聖域を守っています。
環濠の先には3つの尖塔が並ぶ西塔門があり中央の塔門はかつて王専用の通路とされていました。
この中央塔門の階段を登ると目に飛び込むのは、そびえ立つアンコールワットです。
西塔門の中は通路になっており壁面や柱にレリーフが描かれヴィシュヌ神の像も置かれています。
こちらもお見逃しなく!
塔門を抜け参道を進むと左右対称に経蔵が配置され、その先の左右に聖池があり左の聖池には蓮の花が浮かびアンコールワットのシルエットを美しく映しだしています。
中央の参道をさらに進むと十字型テラスに至り階段を登ると第一回廊に続く大塔門の入口へと続きます。
環濠に囲まれているのは外界と聖域を区別する大きな役割があるのですね。
さて、ここからは第一回廊を進み、物語が展開されているレリーフから始まりメインの見どころです。
第一回廊から壁面にびっしりとレリーフが刻まれ、その迫力に圧倒されます。
進軍の様子、天国と地獄の様子、神々の様子など圧巻の見ごたえです。
第一回廊を一周すると十字回廊があり、ここある4つの沐浴池はかつて参拝者が身を清めたと言われています。
中央付近の柱には1632年にここを訪れた森本右近太夫が書いた墨書が残されています。
お見逃しなくご覧ください。
十字回廊を奥に進み急な階段を登ると第二回廊があり、仏像やデヴァダー(女神像)の表情や衣装も異なり個性的でなかなか面白い見どころです。
第二回廊をさらに内側へ進むと第三回廊の中央に高さ65mの中央祀堂が建っており最も神聖な場所とされています。
かつて第三回廊は国王と一部の僧侶だけが入れた場所とされています。
ここまで来たら第二回廊から高さ13mの急な階段を上がって第三回廊に行ってみましょう!
刻一刻と表情を変化させるアンコールワットは神々しく、特に夜明けの朝日に染まる時は神秘的で息をのむほどの絶景です。
アンコールワットのご来光を見る事ができたらご利益がある事でしょう。
年齢と共に感激する事が少なくなる中で、きっと心をまっさらにして感激できるに違いありません。
朝日鑑賞はツアーがおススメです。
CANツアーのアンコールワットツアーは朝日鑑賞が含まれています。
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アンコール遺跡群観光にあたり注意する点などご紹介していきます。
遺跡観光は神聖な場所である為、ノースリーブや半ズボンなど肌の露出が高く薄着は入場できません。
カーディガンなど持参されるか露出が少ない服装でお出かけ下さい。
日中は暑いので熱中症対策と水分をこまめにとるよう心掛けて下さい。
歩きやすい靴、雨具、帽子、日焼け止め、虫よけ、長袖1枚、軍手、除菌ティッシュ、朝日鑑賞なら懐中電灯などあると便利です。
アクセス:
東京―プノンペン乗り継ぎーシュムリアップ
―ハノイ経由―シュムリアップ
―バンコク経由―シュムリアップ
シュムリアップ中心部よりトゥクトゥク利用約13分
営業時間:5:00~17:30
ベストシーズン:
雨季は8月~10月。乾季の11月~2月が最も人気のシーズン。
雨季に入る前の5月~7月ごろも朝方と夕方にスコールが数十分あるのみで一日の大半は晴れるためおすすめです。
アンコールワット以外にも魅力ある遺跡群があります。
またおみやげ購入のマーケットやダンスショーなどご紹介します。
《アンコールトム》
アンコールトムはアンコール王朝至上最大の都城とされ、アンコールワットから北西に約1.5kmにあります。
アンコールトムを代表するバイヨン寺院は「美しい塔」と言う意味で、12世紀に建設されました。寺院は神々の聖域とされるメール山を象徴として参道は全てこのバイヨンに通じています。
バイヨン内の観世音菩薩は「クメールの微笑」と呼ばれ、四面すべてが菩薩の顔となっています。
バイヨン寺院近辺では午前中に象乗り体験ができます。観光前に象に乗り王様気分を味わうのはいかがでしょう?
《タ・プローム遺跡》
12世紀末アンコール王朝ジャヤヴァルマン7世が母を弔うために創建した建造物。
樹木に覆いつくされた様子は神秘的です。
アンジェリーナ・ジョリー主演の「トゥームーンレイダー」の撮影地として使われました。
遺跡観光以外に街も観光するならシュムリアップの中心街にある「パブ・ストリート」がおススメです。レストランやバー、みやげもの屋など揃っています。
ナイトマーケットも出かけてみてはいかがでしょう。
アプサラダンスディナーショーはクメール料理を食べながらショーを楽しめます。
みやげもの購入なら日本では中々できない値切り交渉もチャレンジしてみてはいかが?
CANツアーでは、アンコールワットの観光の他、周辺の遺跡やプノンペンを周遊出来るツアーをご用意しています!
ご家族で楽しむ旅やラグジュアリーな旅など、旅のテーマに合わせた手配ができます。
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フランス極東学院の試算によると、アンコールワットの建設には16歳~45歳の男性、約25,000人が1日7時間労働し35年かかったという事です。
これだけの人が働くためには、その家族や関連する産業など含め数十万の人口があったに違いありません。
カンボジアでは乾季も農業を続けるために雨季に降った雨を貯蔵するインフラが重要でした。
歴代のアンコール王朝は貯水池や水路、運河の建設に成功した事で王権を維持し、多くの人口を抱えて支配できたのです。
江戸時代前期の平戸藩士である森本一房は平戸から御朱印船に乗り祇園精舎とされたアンコールワットを参拝し、「ここに仏四体を奉るものなり」と書き残したのです。
今で言えばこの「落書き」がもし無かったら、遠い昔に日本人として訪ねた痕跡がなくて寂しいように思います。
アンコールワットは世界遺産登録されて複数の国が修復に参加していますが、西参道壊れた部分は、日本人の石工が指導して修復がされました。
外界と聖域をつなぐ西参道を修復した事は、たくさんの訪問客をアンコールワットへ誘う大きな手助けとなったに違いありません。
世界遺産はいくつもありますが、アンコールワットは歴史的に見ても古くから日本に知られ、仏教であることでも身近に感じられます。
そしてご紹介してきた通り見ごたえたっぷりの世界遺産!
平家物語にある「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり…」と、万物はどんなに繁栄しても必ず衰え、おごれる者も亡びてしまうという仏教の教えです。
まさにその栄枯盛衰のヒストリーを見る事ができるアンコールワットは是非一度は訪ねて欲しい世界遺産です。
キャンツアーはあなたのすてきな旅を応援します!
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